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ああカメラを調べ始めてしまった |
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GR DIGITAL ][ が余裕で4万切ってる。しかも去年の暮れにまだファーム上げてる。すげえ。本気だ。
コンパクトデジカメの分際で今時こんだけ長く売ってるのってF3みたいだと言ってしまっては言い過ぎか。
個人的に広角が好きなので外付けファインダーとかワイコンとかもうああああああ
Re: カメラはじめたいです
それ以上健全な理由、ないと思います - Re:カメラはじめたいです |
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Quote | |
基本、うまくとれたらうれしいし、カッコ良さそうだから、という理由
気軽に持って歩かないことには始まらないと思いますから、むしろ一眼じゃないほうがいいんじゃないでしょうか。
写真がじゃなくて「カメラが」好きみたいな話だったらまた違うのかもですが。
だだっ広いところをよりだだっ広く取りたいのであればGX200や100もよさそうです。
私見ですがRICOHのマクロは侮れないというイメージがあります。
鞄に入るような小さな三脚なんかを一緒に買っても多分ステキです。
ヒラリー・クリントン |
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嫌い。
村上春樹スピーチ |
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Quote 本 メモ | |
僕は小説家として − あるいは嘘の紡ぎ屋として、エルサレムにやって来た。政治家や外交官も嘘をつくけれど(すみません大統領)、小説家のそれは違う。
小説家の嘘は告訴されないし、またその嘘は大きければ大きいほど、賞賛も大きくなる。彼らの嘘と小説家のそれとの違いは、それが真実を明らかにするところ − 全体の中から掴み取るのが難しい真実をフィクションの世界で紡ぎ出すところ、にある。だが、小説家はまず、自分たちの嘘を明らかにするところから始めなければならない。
今日は真実を話そう。そんな日は1年のうちほとんどないことだけれど。
この賞を受けるのかどうか、僕はガザでの戦闘のことで忠告を受けた。それで自分にこう問うた:イスラエルを訪れるのは適切なことか?それは一方の立場を支持することにはならないか?
僕はいくらか考え、来ることに決心した。僕も多くの小説家と同じように、人に言われたこととは反対に行動しやすい。自分の目で見て、手に触れたものしか信じないような小説家にとって、沈黙するよりは来てみること、来て話すことのほうが自然なことなのだ。そして僕は、立ちはだかる壁とそれにぶつかって割れる卵となら、その壁がどれほど正当でまた卵がどんなに誤っていようとも、卵の側に立つ。
僕たちはみな、割れやすい殻の中にかけがえのない魂を持ち、それぞれに高い壁に立ち向かっている卵なのだ。その壁とは、人としてそぐわないはずのことに人々を強制させる「システム」のことである。
僕が小説を書いている唯一の理由は、人が持つ最も尊い神性を描き出すことにある。僕たちを巻き込む「システム」に対して、その神性のかけがえのなさで満たすことだ。− そのために僕は人生を書き、愛を書き、人々に笑いと涙を差し出す。
誰もが立ちはだかる壁に対し望みを持てない:それは高すぎて、暗すぎて、冷たすぎる、僕たちはそんな割れやすい卵なのだ。だから暖かみや強さを得るために、心を繋ぎあわせなければならない。僕たちは自分たちの「システム」にコントロールされてはならない。それを作り出したのは僕達自身に他ならないのだから。
僕の本を読んでくれたイスラエルのみなさんに感謝しています。この場が何かの意義をもつことができればと思う。僕がここにいる理由とともに。
"Novelists aren't the only ones who tell lies - politicians do (sorry, Mr. President) - and diplomats, too. But something distinguishes the novelists from the others. We aren't prosecuted for our lies: we are praised. And the bigger the lie, the more praise we get."
「嘘をつくのは小説家だけじゃありません。政治家も——失礼、大統領閣下——外交官も嘘をつきます。でも小説家は、他の人たちとは少し違っています。私たちは嘘をついたことで追及を受けるのではなく、賞賛されるんです。しかも、その嘘が大きければ大きいほど、賞賛も大きくなります」
"The difference between our lies and their lies is that our lies help bring out the truth. It's hard to grasp the truth in its entirety - so we transfer it to the fictional realm. But first, we have to clarify where the truth lies within ourselves.
「私たちの嘘と彼らの嘘との違いは、私たちの嘘は真実を明るみに出すためのものだ、ということです。真実をそっくりそのままの形で把握するのは難しいことです。だから僕たちはそれをフィクションの世界に変換するんです。でもまず手始めに、自分たち自身の中のどこに真実が潜んでいるかを明らかにしなければなりません」
F1豪州GP、「燃え上がれ」から「盛り上がれ」に変更 : エトセトラ : スポーツ : YOMIURI ONLINE(読売新聞) |
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kwout | |
これ見て思い出した、昔、ぼくらの七日間戦争のキャッチフレーズが「夏の、原子爆弾」で、問題になってこのキャッチフレーズは確かなしになったはず。
N82のシリコンケース |
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N82 | |
CAPDASE ソフトジャケット (高級シリコンケース) ホワイト、ブラック Nokia N82 用
この前釣りに行った時にだしたりしまったりしていたら本体に結構キズをつけてしまったので買ってみたよ。
普段は邪魔くさいからつけないけど、外に出かける時用ね。
オクにもっと安い(700円とか)のもあったけど、最近安物買いの銭失いというのを連発していたので、ちょい高くても質のよさそうなのを選んでみた。
他のと比較しようがないんだけどとりあえず満足です。ぴったし気持ちよく本体が収まるし、ボタンの押し心地なんかも問題なし。
これでちょっと落としたりコンクリにこすりつけたりしてもダイジョウブそうです。
あと関係ないけど会社でN82をいじってたら、係長に「そのケータイ金もらっても欲しくねえな」って言われたw
だからお前は万年係長なんだよって言ってやろうかなと思ったんだけど
「そっすねー。これイカれてますよ、簡易留守録もついてないんすよ」と返しておいた。
50 Free High-Quality Icon Sets | Graphics | Smashing Magazine |
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kwout icon まとめ | |
あいかわらずSmashing Magazineのアイコンまとめはイイのばっかり紹介してあります…。
どれも使いたくなりそうなものばかり。
それにしてもいつも思うんだがここまで精密なカメラのアイコンなんて誰が使うんだろうか。
Re: 定義の変更または価値の多角化
おもしろい記事でした |
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Reply | |
・エントリーは新しい順
・エントリーに対するコメントは古い順
というのが自分的にはベスト。
まぁほとんどのブログはこうなってると思うけど。
ブログがなかったころはコメント機能つき日記を使ってたなぁ。
正直トラックバックなんてどうでもいいので、今でもそれで悪くはないと思ってます。
ただ今はブログが簡単だしRSSも吐き出してくれるんで、わざわざ昔に戻す必要もないだけで。
HTMLを直接修正してたころの遺産は黒歴史なのでなかったことにしたいですが…。
でもそのときは古いのが上、新しいのを下に書いていた気がする。
とりあえず
「Web2.0オンデマンドSOA SaaSクラウドベースのソーシャルネットワーキングセマンティック技術です」
なんてことを本当に言ってきたら即お帰り願うことは間違いない。
安らぎ |
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つぶやき Reply | |
ここでわざわざ人に絡むのが正しいやり方なのかどうか、いわゆる空気を読めてない気もする。
が、絡んだ内容を、個人的な攻撃と取られずに、ひとつの意見として、きちんと受け止めてもらえそうだと言う、胸のときめきのようなものを止められない。
反応欲しいわけではないただの吐き出しや、ひそかに反応が欲しいと思ってるあれこれや、そんな混在がするりと受け入れられてるような気がするここで、ひとり安らいでいる。ありがとう。
追記
ふと思ったが、日本人は沈黙を金とするという国民性もあったな。
自分の頭の中を、「あえて晒さない」という選択をすることを美しいとする文化だった。
黙っていることを、「無知と無能の証」とする文化と、「慎ましい、謙遜の人」と思う文化と、残念ながら説明なしにはわかり合えるはずもないか。
それでも日本で育った日本人としては、わざわざ語ることをしない謙遜の態度を、極めて美しいと感じる。
Re: なぜ、日本人は議論ができないのか
しないとできないの違い |
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議論とは、意見を交し合う間に、別の(より良いと思われる)意見にたどり着くか、どちらかの意見に、どちらかを納得させるためのものだと思う。
現実的には、「相手を納得させるために」、意見そのものの質や正しさよりも、手っ取り早く自分の社会的立場や権力や、金の力や声のでかさや身なりの正しさを利用する場合が多いだろうし、人目に触れる議論というのが、そういうものが多いのだろうと思う。
妥協というのは、少なくともどちらも同じほど正しいし、どちらがどちらとはその場では決着がつかないから、この辺りで折り合っておこうという、"無駄な"自己主張を終わらせる行為ではないかと思う。
無駄な自己主張は、結果として"極めて無駄な"肉体的/精神的損傷を招きかねないし、そんな愚を犯さなければならないほど大事な自己主張というのは、そうそうないもんだ。「自分の意見は、誰かを殺してまで通すようなことではない」という前提で議論すれば、当然妥協と言うところに落ち着くものだろう。
正しさは人の数ほどある。だから、意見の交換をするのは、世界の新しい部分を見せてくれる。
議論ではなくて、意見の交換が好きだ。そこから(互いに)得られるかもしれない考えもしなかった新たな視点の存在に、いつも胸がときめく。
相手を自分の意見に納得させることを、勝負のように思っている人間こそ、野蛮ではないかと思う。白黒はっきりつけたがらない日本人は、むしろ議論そのものを避けようとするだろう。
意見の交換だけしてればいい、というわけには行かない場もあるのだと、百も承知でのたわ言。しかし一から十まですべて議論!というのが人生でもあるまい。
日本人が、議論ができない、あるいはしようとしない国民だからこそ、世界がまだ第三次大戦に突入してないんだと、ひそかに思っている。
それと、現実的な力を手に入れるためには、それ相応の努力がいるという現実を考えれば、現実の力にはきちんと価値があってしかるべきだと思う。その力を持つ人間の意見が尊重されるのは、流れとして当然ではないか。
現実の力を持っている人間が、その力に相応しくないなら、その力を取り上げることが比較的簡単だというシステムが必要なのか。
という、言ってみただけのざれ言。





