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ボトルメール |
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BottleMailというアプリケーションというか鯖倉複合体のクローズドな有償サービスがちょっと前まであった。
要はメーラーなんだけど、「出したメールがいつ誰に届くかわからない」という変なメーラーだった(もちろんBottleMailユーザー間のみ。じゃなかったら強烈に地味なスパマーです)。
起動すると浜辺の絵が出る。起動時にメールが着いていると、瓶が流れ着くアニメーションが出る。瓶をクリックすると栓が開いて絵が開く。
定時チェックも一応できたと思う。
送れるのも着くのもサイズ固定の画像1枚のみ。基本的にはメール本文というか画像自体もBottleMail内の簡単なペイントソフトのようなインターフェイスで描く。
文字入力くらいはできるけど、結局画像に変換されて送られるし、画像自体がそんなに大きくないのでたいした分量は書けない。
よそから持ってきた画像の貼付けくらいはできたかもしれない。よく覚えてない。貼れたとしても巨大な画像は縮小されただろうから、高解像度のものは貼ってもあまり意味がなかったはず。
着いたメールに対してできることは3つ。
・アルバムに保存する。保存できる枚数は大したことない。20枚とかそんなもん。
・そのまま栓を閉じてまた海に投げ返す。そしたらそのうち他の誰かのとこに着く。
・返信する。
返信だけはできる、という絶妙な潔さがいい。こんなもんが前世紀からあったというのは今考えるとすごい。
今はブログバーツ版になっちゃったみたいなので意味合いがかなり違ってきているけど、気になる方は最初のリンク先からさらに飛べます。他にどこかで書いてる方はどうぞ。
主観を測る術は無く、そして正しき理性は彼方へ |
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何かを「正しい」とする判断は、厳密に言えば、「その時点の主観において正しい」という事を意味する。
だが問題は「その主観の在り方が正しい」とは限らないという所にある。
それ故、無益な争いや、人生に関わる大きな失敗を、人はしてしまう。
だからこそ、正しい主観の在り方というのを常に意識しつつ、
しかし主観なんていうあやふやな代物が正しく在るのはとても困難であるからこそ、
自分の主張に対して少し控えめになったり、違う主張をする人に対しての接し方をよく考える様になった。
だが自分の判断というヤツに関しては、疑ってばかりでも先に進めないので、
そこはもう主観に対して精進有るのみ、というしかない。
…と、業界分析なんぞをしていたらそんな事を思った。
http://xmny3v.sa.yona.la/156 |
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9時前に起きたのは久しぶりだ……
さすが学生
Portal |
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FPS ネットサーフィン |
よくCounter-Strike:Sourceなどのゲームをプレイするけど、valveが提供するFPSは結構自由度が高い。
そこで目をつけた学生が卒業制作で作成したものが元になったFPS+パズルゲームという
組み合わせのゲーム「portal」そのクレジットムービー挿入曲が秀逸。
GIGAZINEで紹介されていたので、こちらでも。
【リンク元】 http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080922_portal_still_alive_typography/
【ムービーへのリンク】 Portal - Still Alive typography
【歌詞の日本語訳】 http://wikiwiki.jp/portal/?still%20alive#h2_content_1_3
Re: 消えた投稿
名探偵 銭形砂絵?(すでにありそう) |
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習慣のwikipediaめぐりしてたらたどり着いた
>太平洋戦争中、米軍は軍事機密が隠されているとして偵察を繰り返したが、終戦まで正体が判らなかった。
とか超ウケルー、アメ公やっぱバカじゃん?みたいな
Re: ある会社
最近友人がネットを辞めました |
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まあネットを辞めるといっても、PCを廃棄しただけですが、
で彼が言うには、
「ネットはマイナーだったからやってたのであって、今はもうメジャーだから嫌だ」
だそうで。
…彼が次に行き着く新たな世界に注目を向けざるを得ない。
デザインとシステム理論はニアリーイコール(結論 |
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■
デザイン、デザイニングの最終地点は、
“真理への到達”
“具体的・個別的な事物に対する普遍的な解析方法の発見”
だと思う。
↑は理系の学問について共通して言える事なのかもしれないけれど、
とくにデザイニングというのは現実に目の前に存在しているものを扱っているという点が特徴だ。
■
もちろん事物の徹底的な抽象化や仮想的な命題についての取り組みからは、
真理へ到達することができない、という訳ではない。
ただ、デザイニングの扱う命題は、
目の前に存在する、しかし“それを指摘されて始めて気づくような”モノだったりする。
■
「事物の徹底的な抽象化や仮想的な命題についての取り組み」では、
あくまで“人が気づいているもの”を、さらに人の頭の中でこねくりまわしているだけだ。
しかしそうして作られた理論というのは、人がそれまで気づきもしなかったモノによって、あっさり破綻する。
これは環境政策や社会政策において、よく見られる事だ。(机上の理論による環境保護がかえって生態系を破壊してしまうという事など)
そしてそういう“目の前のモノ”、“目の前にあるけれど一見分からない事”を重視し、
そこから全体へのアプローチを考えるという点は、まさにシステム理論と同様なのだと思う。
しかしこうして自分の文章をみると、やはり哲学書を殆ど読まずに思想を語る事が如何に醜いか、ということを感じずにはいられないなあ…
マインスイーパマジヤバイ |
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中毒 ゲーム |
とかいいつつ、私の人生の中での総ゲームプレイ時間ぶっちぎりトップは
実はとってもトラディショナルなRoguelike系なのです。とりわけJNetHackとJAngband。
思い起こせば、DOS時代から今に至るまで、いつでもPCの中に常備しております。
気だるい学生時代、朝っぱらから日がな一日、気が遠くなるまでプレイしておりました…(←バカ学生)
vi式カーソル移動は当然のように完全マスター。画面を見れば右手が勝手に動いてくれます。
というか、え?本家viって斜めにカーソルが動かせないの?(当たり前だ)
いつでもどこでも、"@"をじっと見てると「あ、俺だ」と思い、"!"をじっと見てると喉が渇き、
"%"をじっと見てるとなんだか腹が減ってきます。もはや末期症状。
同好の勇者たちに贈る:墓堀
Re: メシは
Re: 57分
さいんくりんぐおーるどまん |
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Reply |
先日、ピナレロという高級自転車メーカーのハイグレードモデルに乗って、
時速35kmくらいでかっ飛ばす高速爺を見ていよいよ高齢化を実感しました